尾林焼

尾林焼の歴史 五代目 水野英男   尾林焼 アクセス    

 五代目 水野英男

 昭和7年 飯田市龍江尾林に、水野顕、とみの長男として生まれる。
 瀬戸の陶芸家岡部嶺男氏に師事。尾林焼の伝統を踏まえつつ、より芸術性、作家性の高い作品作りを目指した。
 作品は尾林で産出する陶土で形作られ、地元で採れる 長石や自家製の木灰などを釉の原料として用い、父祖伝来の登り窯で焼きあげた。
 自然の中にある原材料を駆使し、伊那谷の自然や風土に根ざしたやきものを作り 続けた。
 平成26年9月、82歳で没した。

水野英男

昭和7年 飯田に生まれる
昭和26年 京都工業技術庁陶磁器試験所伝習生
昭和35年 岡部嶺男先生に師事
昭和38年 第10回日本伝統工芸展入選
昭和39年 第4回伝統工芸新作展入選
昭和40年 朝日陶芸展入賞 以後5回受賞
昭和43年 日本工芸会正会員
昭和47年 名古屋松坂屋個展 以後10回
昭和55年 日本橋高島屋個展 以後6回
平成8年 駒ヶ根高原美術館企画展
平成9年 伝統工芸新作展優秀賞受賞
平成11年 伝統工芸新作展鑑審査委員
平成11年 芸術文化功労県知事表彰
平成18年 文部科学大臣より地域芸術文化功労者表彰
平成26年 9月没(享年82才)

水野英男 作品

 

ふるさとの大地の霊

水野英男 (平成初期 記述)

 この言葉の重さと深さをしみじみと感じている昨今である。
父祖代々焼もの尾林焼(飯田市龍江)を業として来た者にとり、この地との関りは深い。ここ南信州、伊那谷は古くから焼ものが作られて来た。当地方は比較的温暖な気候であり、何よりも陶土に恵まれていたからだろうか。
 遠く縄文時代の頃から各年代の器物が数多く発掘されている。特に尾林では、慶長十(1609)年銘の狛犬によりその頃から、施釉陶が焼かれていて、現時点では県下最古の窯とされている。
 江戸時代の後期に現在の尾林焼が始まったが、今も登り窯などは当時の形態であり陶土その他、釉(くすり)の原料など全て尾林の周辺から調達して使用しているのである。例えば長石類は近くの八野倉石であったり、大平峠から木曽へかけての石であったり、または鉄分の多い水打粘土、鬼板などは先祖代々採集場所が言い伝えとして残っているのである。
 先年、赤石山麓のしらびそ高原へ車を走らせた。谷間の山路を行くうちに、偶然にも焼ものの原料として使えそうな青砂に巡り合い、早速それらを持ち帰り、試作を重ね見事に成功して、今では私の大事な釉調のひとつとなっている。このように自然界の原料との出会いは、作者にとり感激一入でまさに大地の霊を感ずるものである。

 また、この伊那谷は幸いにして、南アルプス、中央アルプスの岳々が朝夕眺望出来る。春夏秋冬あの神秘的な雄姿に心惹かれ、遥かなる岳々に思いを馳せながら、作陶に向うのである。 
 また、私の窯場周辺には古くから竹林があり、大地に根をはった生命力(繁殖力)旺盛な竹を忘れることが出来ない。春先になると、タケノコが次から次へと生出して、それらを頂戴する恩返しのつもりで今日では竹のイメージを大切に作陶している。
 一方、わが家は父祖代々半農半陶の世界で生きて来た。私は春になると、農作業の田植えをしなければ、心が落着かない。人は本来農耕の民であったのか、土に触れていなければ安心できないのである。そして汗して終えた田圃佇む時、無類の安堵感と安らぎをおぼえるから不思議である。

 時代はどのように流れようと、先人たちが代々にわたって築きあげ、守り続けて来たこの地での生活を大切にして、この風土に拘り続けてゆきたいものである。  
 それは決して人が自然を征服するものでなく、春夏秋冬自然の季節の流れに従い、自然に対する畏敬の念を持ったものでありたい。
 ふるさとは自分の足もとに、この地に暮らしていつまでも、大地の霊を大切に守ってゆきたいものである。


 

 

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